プラスαの英文法

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高1英語教科書(三省堂クラウン)の和訳に挑戦 Lesson3

今日読むエッセイは、序章を見る限り「人間とは、芸術家とは」という哲学的問いを投げかけているように思われます。高校1年生が、取り組むにしてはかなり高度なものと言えましょう。三省堂の中でも上級者向けの教材なのでしょうね。私の現役の時にはもう少し優しい内容でしたから。

 

Hatching the Egg of Hope

 宮崎健介にとって、芸術は世界中の人々と幸せを共有するための方法です。彼は人生を、「自分は人間として、そして芸術家として何者なのか」という問いの答えを見出す旅とみなしました。

 私は絵を描くことをずっと愛し続けています。高校の春休みの間、2週間ベルギーに訪れたのです。そこの通りで絵を描くことに時間を費やしました。言葉を理解することはできませんでしたが、通り過ぎていく人々が私の作品を見て幸せそうでした。芸術には人々を集める力があるのだとわかったのです。

 大学時代には一つの夢を持ちました。世界中の人が、私を偉大な芸術家として認知してほしいと願ったのです。卒業後は有名になるためにロンドンに渡りました。そこでは、ゲストハウスで生活し、パートタイムで働いたのです。あまりお金を持っていませんでした。誰一人私の絵を受け入れてくれる画廊はいませんでした。

 ストリート・アーティストである友も私も怒っているかに見えるのがイケていると思っていました。彼らは社会的な偏見に対し怒りを表現していたし、その怒りは本物でした。でも。私は日常生活を営むごく普通の家庭出身でしたのです。全く怒ることなどありません。

 2年間、ロンドンにいましたが、依然として有名な芸術家ではありませんでした。決心したのは、自分自身を違った方法で表現することです。

 ロンドンで偶然見たテレビ番組が、ケニアのナイロビでの孤児とストリートチルドレンのための学校に関するものでした。その子供たちは不幸に見えました。突然、ケニアに行ってそこの子供たちに何かを描くのをせき立てられる思いがしたのです。

 平坦ではなかったが、ついに2006年ケニアに行き、その学校を見つけ子供たちのために絵を描くことができたのです。私は怒った龍を描きました。そのことで喜んでいたのですが、先生は不満を込めて、「子供たちはその龍に怯え、学校に来るのを嫌がる子もいた」とおっしゃいました。子供たちはそれを大蛇だと思ったのです。龍が想像の生き物であることを知らなかったのです。

 私は、「君たちは何を書いてほしいの」と尋ねました。

 "ライオン!”、”バオバブ!”

 それで、子供たちに協力を求め、一緒にたくさんの面白い絵を書いたのです。先生たちによると、彼らは今まで以上に積極的になったそうです。

 そのことが私の経歴における転機でした。他者との協同で絵画を通して幸せを創作するのが私のスタイルです。毎年世界中のさまざまな場所で絵画企画を行おうと決心したのです。

 2011年東日本大震災以降、仙台でボランティア活動に加わりました。学校は閉鎖されていましたから子供たちはすることがありません。退屈そうでした。私の絵画企画が彼らの励みになるかもしれないと考え、一緒に創り始めたのです。学校の壁塗りをしました。

 岩手県大船渡町の床屋さんからは看板のデザインを頼まれましたが、看板づくりだけでなく鮮明な色で店全体を描きました。

 私の芸術企画が効果をもつのか疑っていましたが、災害に直面した時に芸術がなんの力にもならないと思いたくありませんでした。人々が望むお金と配給は大きな助けになりうる。しかし、絵を共に描き創造の喜びを共有するというのもまた助けになるのです。人々は最悪の状況下であろうと笑い微笑むことができるのです。

 2017年にはある戦争が続いていました。大変危険な場所で人々は毎年死んでいきました。至るとこで防空壕と爆弾で破壊された建物を見たのです。

 マリウポリは芸術企画には安全な場所とは言えません。しかし驚いたことに私が絵を描き始めると、子供たちはどこからともなくやって来て私に加わるのです。

 私たちは大きな手袋を描きました。その案は有名なウクライナ民話「魔法の手袋」を基にしたものです。物語では。ある雪の降る夜、一人のお爺さんが手袋を落としました。するとネズミ、カエル、ウサギ、キツネ、他にもたくさんの動物たちが温まろうとしてその中に入り込んできたのです。

  私たちの絵に、あなたは世界中の人々が大きな手袋の温もりを共有しているのを見ることでしょう。それは生命と希望を現す復活祭の卵で飾られているのです。わたしたちの絵が示しているのは、人々の温かな心が希望という卵を孵化し平和な生活を私たちみんなにもたらすというものです。

 「私はひとりの人間として、そしてひとりの芸術家として何者なのか?」という問いにまだはっきりとした答えを持てません。しかし一つはっきりしたことがあります。それは私の芸術には人々を”超幸福”にする力があるということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高1英語教科書(三省堂クラウン)の和訳に挑戦 Lesson2

Does It Spark Joy?

 近藤麻理恵は整理整頓のコンサルタントで自分の部屋をきれいに片付けなさいよという。彼女の主張は、置いておくべきものというのはワクワクさせてくれるものに限るということだ。

 物を収集するというのは人間の性質だ。たくさんのカラフルなペン、新しいパンツ、流行のTシャツ、かっこいいスニーカーなど。買ったときはそうした物を大変気に入っている。しかしそれらを引き出しや押し入れにしまいそのことを忘れてしまうのだ。

 間も無く私たちの空間は多くのもので満たされてしまう。引き出しの中のたくさんの靴下、押入れの中のたくさんのシューズ、そして本、本、本。それはストレスの元になる。私たちにとって所有物というのは頭痛の種だ。何をすべきか。

 近藤麻理恵(略して、こんまり)には一つの解決法がある。幼い頃から彼女は自分の部屋をきちんと片付けておくのが好きだった。そして身の回りを整理する方法に関する記事に取り憑かれたのだった。自分の部屋を整理するだけでなく、妹の部屋まで清掃しさっぱりとさせたのであった。

 大学在学中に、こんまりは日本で掃除コンサルタントとして働き始めた。そして2014年にはこんまりメソッドを紹介するために渡米した。懸命に働き続け、彼女のメソッドは世界中で大成功となったのだ。

 こんまりが最も重要な原則の一つとしているのがこうだ。「ワクワクさせるものだけを保管する」。

 彼女の顧客の中には、読まれていない本をたくさん持っている人がいる。だが、彼(女)らはどれを保管し、どれを破棄するかわからない。おそらくいつか読むつもりなのだろう。しかしそのいつかは決して来ない。こんまりのアドバイスは、各々の本を手にとってみてワクワクするならそれを置いておきなさいというものだ。そうでなければ捨てなさいということだ。しかし忘れずに言わないといけない、「良きサービスをありがとう」と。

 彼女は加える。あなたがその本を読まなかったとしてもそれから何かを知ったのだ。その本は必要でなかったことを知ったのだ。

 同じことが全ての所有物にも当てはまる。それが、清掃を始める方法なのだ。

 こんまりは物を容赦なく捨てろと言ってはいない。彼女は所有物を生き物のように扱っている。ある日の高校生だった頃、新しい携帯電話を買っている。その時彼女は、古い携帯にあるメッセージを送った。「長年世話をし続けてくれてありがとう」と。古い携帯はすぐに鳴り響き、文字をチェックした。もちろん彼女の送ったメッセージだった。古い携帯に向かって言った。「すごいわ、私のメッセージがあなたに届いたのよ」。そうして彼女はそれを閉じたのだった。

 しばらくして古い携帯を開くと、空白の画面を見て驚いた。彼女の古い携帯はメッセージを受けた後死んだのだった。役目は終わったのだ。

 こんまりはそれが、たんに偶然の一致であることを認めている。しかしそのことが、物を捨てるときでさえ、所有物に敬意を示すべきだいう彼女の考えを現しているのだ。そして所有物と親密な関係が持てる。

 私たちの身の回りのものは、私たちが選んだものである。それらを取り除くのが難しいことは言うまでもない。こんまりが私たちに自問自答してみなさいという。「過去への執着あるいは未来への恐怖が理由でこれを捨て去ることに悩んでいるの?」その問いに答えれば私たちは人生の価値を見出せるであろう。

 きれいさっぱりにするというのは、私たちの空間を過ごしやすくする方法にとどまらない。自分の価値観を設定し、将来を決定する方法でもあるのだ。部屋を整理すると、優先順位を設定するようになるのだ。こうして、身の回りをきちんとしておけば、生活さらには仕事、家族にまでしっかり影響を及ぼすことになるのだ。さっぱりさせると私たちの人生まで変えることができる。

 もし未来に不安があるのなら物を整理することから始めなさい。あなたが本当に関心を持っているのはなんですか?将来、何をしたいのですか?挑戦してみましょう。